[創発2009レポート]
■「分岐点」 いきいき活動センターしずか館
9月12日(土)~18日(金)
栗橋町で行われる「分岐点」について、事務局長の木村由美子さんに話を聞いた。
2000年、現代美術に関わる人たちにより「地美懇」(地域の美術懇話会)が立ち上げられた。昨年、地美懇は解散し、新たに「チビジ」(地域の美術実践会)が発足した。地美懇は地域と美術について考えることが目的だったが、チビジはそれまで話されてきたことを実践するための会であった。
埼玉県内で行われる展覧会を紹介する「さいたま美術展<創発>プロジェクト」をこのチビジが行うことになった。ここに参加する展覧会を県内の美術関係者に募ったが、県東北部には参加団体が現れなかった。そこで隣町の鷲宮に在住する松永(筆者)が、この地域で展覧会を開くことにした。昨年の11月か12月ごろだった。
年が明け、「埼葛現代美術展」という仮称のもとに大まかな内容が決まった。その事務局を、栗橋に住む木村さんが受け持つこととなった。2月に出品依頼を兼ねた最初のミーティングを行った。そして最終的に、埼葛地域周辺に在住する立体作家3名と平面作家4名による現代美術展とすることになった。そして間もなく、正式タイトルが「分岐点」と決まった。
会場となる「いきいき活動センターしずか館」は松永が探してきた。少子化によって児童数が減り、10年ほど前にこの周辺の小学校が統合されて2つの校舎が使われなくなった。それがしずか館、ハクレン館と名づけられ、現在はスポーツクラブやサークル活動などで町民に使われている。
「分岐点」はしずか館の体育館だけを使って行われる。ここは駅から極めて近く、学校として使われていたという特徴もある。校舎の方は地元の人が使っており、また上階は耐震強度の問題があって使えない。また準備期間が短かったため、会場を拡げると内容が散漫になるという危惧もあった。
木村さんは、小さい頃から美術が好きだったそうだ。しかし、美術は印象派で終わったと漠然と考えていた。ところがあるとき、県立近代美術館で現代美術というものを目にし、印象派の後にも美術があることを知った。その後、美術館のガイド・ボランティアに参加するようになり、そこでナマの現代美術作家と会ってさらに強い刺激を受けた。それがきっかけで、松永が主宰する地美懇にも参加することとなる。
美術家団体展系の作家は、これまでも地域でそれなりに知られていた。近代美術の流れを汲んでいるため、作品もわかりやすいものが多かった。しかし現代美術家のことについては、地元ではほとんど知られていない。作者たちもまた東京や国外に目が向いており、地元を振り返ることはあまりなかった。木村さんは、このような美術があることをぜひ地域の人々に知ってほしいと思った。
現代美術を見ることでものの見方が変わると木村さんはいう。作者の話を聞いて作品を見る。そうすると表現の筋道が見えてくる。作品の鑑賞は一方向的だが、作者の話を聞くことで双方向的となり、イメージが輻輳的に広がっていくのだ。
現在は、マスメディアへの広報のしかたや平面作品の展示のしかたについて検討している最中だ。自分で何かを生み出せる美術家の存在は、木村さんにとって憧れ以外の何物でもない。その魅力をより多くの人たちに伝えたい。そのためにこれまで、そしてこれからも、展覧会の裏方として美術家と観客の間に立ち続けるのだと思う。
■「分岐点」 いきいき活動センターしずか館
9月12日(土)~18日(金)
栗橋町で行われる「分岐点」について、事務局長の木村由美子さんに話を聞いた。
2000年、現代美術に関わる人たちにより「地美懇」(地域の美術懇話会)が立ち上げられた。昨年、地美懇は解散し、新たに「チビジ」(地域の美術実践会)が発足した。地美懇は地域と美術について考えることが目的だったが、チビジはそれまで話されてきたことを実践するための会であった。
埼玉県内で行われる展覧会を紹介する「さいたま美術展<創発>プロジェクト」をこのチビジが行うことになった。ここに参加する展覧会を県内の美術関係者に募ったが、県東北部には参加団体が現れなかった。そこで隣町の鷲宮に在住する松永(筆者)が、この地域で展覧会を開くことにした。昨年の11月か12月ごろだった。
年が明け、「埼葛現代美術展」という仮称のもとに大まかな内容が決まった。その事務局を、栗橋に住む木村さんが受け持つこととなった。2月に出品依頼を兼ねた最初のミーティングを行った。そして最終的に、埼葛地域周辺に在住する立体作家3名と平面作家4名による現代美術展とすることになった。そして間もなく、正式タイトルが「分岐点」と決まった。
会場となる「いきいき活動センターしずか館」は松永が探してきた。少子化によって児童数が減り、10年ほど前にこの周辺の小学校が統合されて2つの校舎が使われなくなった。それがしずか館、ハクレン館と名づけられ、現在はスポーツクラブやサークル活動などで町民に使われている。
「分岐点」はしずか館の体育館だけを使って行われる。ここは駅から極めて近く、学校として使われていたという特徴もある。校舎の方は地元の人が使っており、また上階は耐震強度の問題があって使えない。また準備期間が短かったため、会場を拡げると内容が散漫になるという危惧もあった。
木村さんは、小さい頃から美術が好きだったそうだ。しかし、美術は印象派で終わったと漠然と考えていた。ところがあるとき、県立近代美術館で現代美術というものを目にし、印象派の後にも美術があることを知った。その後、美術館のガイド・ボランティアに参加するようになり、そこでナマの現代美術作家と会ってさらに強い刺激を受けた。それがきっかけで、松永が主宰する地美懇にも参加することとなる。
美術家団体展系の作家は、これまでも地域でそれなりに知られていた。近代美術の流れを汲んでいるため、作品もわかりやすいものが多かった。しかし現代美術家のことについては、地元ではほとんど知られていない。作者たちもまた東京や国外に目が向いており、地元を振り返ることはあまりなかった。木村さんは、このような美術があることをぜひ地域の人々に知ってほしいと思った。
現代美術を見ることでものの見方が変わると木村さんはいう。作者の話を聞いて作品を見る。そうすると表現の筋道が見えてくる。作品の鑑賞は一方向的だが、作者の話を聞くことで双方向的となり、イメージが輻輳的に広がっていくのだ。
現在は、マスメディアへの広報のしかたや平面作品の展示のしかたについて検討している最中だ。自分で何かを生み出せる美術家の存在は、木村さんにとって憧れ以外の何物でもない。その魅力をより多くの人たちに伝えたい。そのためにこれまで、そしてこれからも、展覧会の裏方として美術家と観客の間に立ち続けるのだと思う。
[2009/8/10取材(松永)]
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