[9月の創発2010レビュー]


 “抽象”劇的区間が生む-齋藤輝昭展

吉留要(画家) 

 「抽象絵画」とは、自然から抽出した形、色彩をとらず、作家自らが自由に創り出した「純粋形象」により創られる絵画のことである。「具象絵画」に相対する作品世界でもある。
 9月上旬、「ギャラリー麦」で作品展を開いた齋藤輝昭は、70年武蔵野美大卒業時パリ賞を獲得、二十年近い滞仏時代を含め、一貫して純粋抽象を続けてきた作家である。
 今回の展示は、「相反、相成」と題された150号、50号、30号の三点を軸に、油彩、アクリル画の小品十数点。いずれもが絵画的力動感に満ち、向き合う者の感覚を鼓舞し、感銘を与える作品であった。
 作品たちは、落着いた白色の背景的色面に微妙な色調をもった赤、黄、青の、適所を黒色系が引き締める多様な形象が連なり、交錯、重層し、さらに断裂し響きあう複雑な絵画空間が形成される。

 作家は、パンフレットに「私にとって絵画は格闘技のようなもの…・・下絵もなく立ち向かい、最初の一振りで次の動作が決まり、次々と構築され、……(その至福の時)を経て、絵の持つ力が自分の気持ちとあった時筆を置く」と書く。まさに空白からの出発である。
 向き合う者は「最初の一振り」をイメージし、恣意的、しかし周到に展開するプロセスを追い、創作の実相を追体験出来るかも知れない。作品を直に見ることを奨めたい。
 タイトルの相反、相成とは、大小、強弱、静動など、相反する要素と説く作家は、劇的に関わりあうその不協和音の"対立的調和"を、独自な感性、思索、手法によってキャンバス上に構築する。
 おだやかな笑顔で話を進める作家は、さらに作品は「日記」であるとも言う。
 日記とは、日々の暮らし、出来事、考えなどの実録である。

 視覚を深め、作品の総体的表現に生活感を吸収させ、その息吹を受けとめれば、大作は、日常の生活力を小品は、和み、楽しみを掌にのせ味わうことも出来よう。
 感受性の問題と言えるだろう。
 手もとに'03年~'07年の数枚の作品写真がある。それらに比較すると、今回の作品は、背後が白色系に統一され、そのゆえに、そこの登場する「主体」はより鮮明になり、表現目標の明確さ、意図の的確さ、そして作家の創造への意志の強さを改めて実感する。
 齋藤輝昭は調和と対立が存立する創造の「場」に自由で豁達な精神へのあこがれと賛歌を"純粋抽象"によってうたい続ける。

(『入間エリア新聞』2010年11月7日より転載)



[9月の創発2010]
【№02】

[会場写真]
「齋藤輝昭展」会場写真

「齋藤輝昭展」会場写真