[9月の創発2010レビュー]
二村潤展 ひとつ、ひとつ(創発プロジェクト)
白い壁に浮かぶ十数点の「ひとつ、ひとつ」。淡い色の背景に点在する、素朴で、温かく、どことなくおかしみを帯びた四角、矩形、線、さまざまな「かたち」の数々。二村絵画のファンにはおなじみのモチーフだが、今回はそれに加えて、クラシックなデザインの靴が行儀よく半円を描いて並んでいる「Rose wood」や、木立にも見える緑を配し、遠く遥かな景色を臨むような「Garden」、クリスマスのオーナメントを思わせる透明感ある赤い球が画面いっぱいに弾む「12月メロディー」、真紅や朽葉色、紫といった、これまで見られなかったようなスパイシーな色がにぎやかに共演する「愛しさチョイス」など、新しい風のように感じられる作品も見受けられた。
今回の展示にあたり、二村に、思い入れのある作品は?と問うと、彼はどれも思い入れがある作品だからと特定は避けたものの、抽象を見慣れていない人にももっと概念を取り払って入ってきてほしい、と言葉を継いだ。前述したいくつかの作品の制作背景に、その思いがあることは疑いもない。それが、今回感じられた新しい風の源泉になっているのだと思う。
抽象・具象という枠には制限されたくない。抽象を正当化したいわけでもない、それだけしかないような、一辺倒な考え方はしたくない。
たとえばある形がそこにある。それを描きたい。だが、そのかたちだけの説明にとどまってしまうものは描きたくない。それはただひとつの「かたち」で完結するものではない。ひとつのかたちに、ほかの姿が投影され、要素が内包され、また別のかたちにほかのかたちが立ち現われ、いろいろなかたちが見えてきて、 オーケストラのように共鳴しあう。彼が描きたい姿は、ひとつにとどまらない「ひとつ、ひとつ」のハーモニー。
それを意識して観ると、バラバラだと思っていたかたちに、距離が生まれ奥行きがあらわれ、見る間に空間が押し広げられていくのを感じることができる。世界がそこにひとつ、立ち顕れる。はじめから狙っているのではなく、描いているうちにいつのまにかそこに顕れてくるもの。
自分の中の世界というものがある。それを外にひっぱりだそうとして、描いているのかな。
彼は、話しながらはじめて意識したように、内なる世界をあらためてひとつひとつ、思い起こしているようにみえた。
二村潤展 ひとつ、ひとつ(創発プロジェクト)
採録:大沼珠生(二村アトリエ・メンバー)
白い壁に浮かぶ十数点の「ひとつ、ひとつ」。淡い色の背景に点在する、素朴で、温かく、どことなくおかしみを帯びた四角、矩形、線、さまざまな「かたち」の数々。二村絵画のファンにはおなじみのモチーフだが、今回はそれに加えて、クラシックなデザインの靴が行儀よく半円を描いて並んでいる「Rose wood」や、木立にも見える緑を配し、遠く遥かな景色を臨むような「Garden」、クリスマスのオーナメントを思わせる透明感ある赤い球が画面いっぱいに弾む「12月メロディー」、真紅や朽葉色、紫といった、これまで見られなかったようなスパイシーな色がにぎやかに共演する「愛しさチョイス」など、新しい風のように感じられる作品も見受けられた。
今回の展示にあたり、二村に、思い入れのある作品は?と問うと、彼はどれも思い入れがある作品だからと特定は避けたものの、抽象を見慣れていない人にももっと概念を取り払って入ってきてほしい、と言葉を継いだ。前述したいくつかの作品の制作背景に、その思いがあることは疑いもない。それが、今回感じられた新しい風の源泉になっているのだと思う。
抽象・具象という枠には制限されたくない。抽象を正当化したいわけでもない、それだけしかないような、一辺倒な考え方はしたくない。
たとえばある形がそこにある。それを描きたい。だが、そのかたちだけの説明にとどまってしまうものは描きたくない。それはただひとつの「かたち」で完結するものではない。ひとつのかたちに、ほかの姿が投影され、要素が内包され、また別のかたちにほかのかたちが立ち現われ、いろいろなかたちが見えてきて、 オーケストラのように共鳴しあう。彼が描きたい姿は、ひとつにとどまらない「ひとつ、ひとつ」のハーモニー。
それを意識して観ると、バラバラだと思っていたかたちに、距離が生まれ奥行きがあらわれ、見る間に空間が押し広げられていくのを感じることができる。世界がそこにひとつ、立ち顕れる。はじめから狙っているのではなく、描いているうちにいつのまにかそこに顕れてくるもの。
自分の中の世界というものがある。それを外にひっぱりだそうとして、描いているのかな。
彼は、話しながらはじめて意識したように、内なる世界をあらためてひとつひとつ、思い起こしているようにみえた。
[2010/12/29]