[9月の創発2010レビュー]


「美術の硬派」探索記 ― オープンアトリエで思うこと

吉田富久一(社会芸術) 




はじめに

 「美術の硬派」とは一体何だろう!と思いつつ、埼玉までの小旅行。マップを拡げると、なんと29もの場所で「9月の創発」は展開されている。広域にわたり、到底一日では回れそうもない。展示スペースではなく、制作現場の解放に興味を抱き、入間へと導かれる。
 ここでは幾つか見た中のひとつ、オープンアトリエについて所感を述べ、思いついたこと語らせていただく。


1、「オープンアトリエ」の場合

 アトリエキャトルへは10年程前に一度、出店久夫(敬称略)を訪ねたことがある。当時、新築のアトリエ長屋の空間には、未だものが置かれておらず、広いと感じさせられた。あれからどのように変貌しただろうか。彼の制作ペースから想像すれば、相当に窮屈になっていることが予想される。作品展示以上にアトリエの様子が気がかりであった。
 ちょっとした探検に似た心持ちで電車とバスを乗り継ぎ、数カ所を回遊した後、日暮れ前にアトリエに到着でき安堵した。

 このエリアでは5名の作家の展開である。アトリエキャトルに1号:出店久夫、2号:齋藤輝昭、田代絢子、3号:宇賀地洋子。そして、西野アトリエに西野一男の制作現場を覗くことができた。
 順を追って出店のアトリエから見ていけば、案の定、すっかり作品に被われ見渡せる空間は一握り、展示空間をどうにかこじ開けた感がある。必然的に展示作品を数えれば少ない。不足分を、建物の外壁正面に据えられた大画面で補充する。隣の2号:齋藤輝昭、田代絢子、3号:宇賀地洋子を見ていく過程で、ひとつ思うことあり。

 齋藤が大作を展示し、田代が美しい版画を見せ、宇賀地が展示のために部屋を美しくディスプレイしていても、見せられているのは作品だけではなく、取り巻く空間とその人だ。制作現場には制作に必要なもろもろの道具や器具が潜み、会話の途中ですぐに取り出せる。興味津々会話は弾み、長時間滞在となる。西野の場合は、自宅アトリエなので格別だ。床屋さんという普段の顔もあり、職業を別に持つ日本の画家の現状を浮き彫りにさせていた。
 ここには展示専用の画廊では味合えない臨場感が溢れており、作家と市民を結びつける場へと醸成できそうだ。

 ここでまた思うことあり。ひとつの企画を全うする、あるいは参加するに、己の立ち居置を考えたい。出店の野外展示は、展示スペースの不足を補いつつも、オープンアトリエの開催を示す看板の役割も果たされているようだ。個人主義的立場で見れば、独り目立つという穿った見方もできようが、我等外来の客にとっては、この指示機能の働きが到着したときの安堵に繋がっている。
 作家がそれぞれの作品の持ち味を個々の空間に示すだけでなく、企画全体として必然的に求められる役割に気付くことが重要だと思う(ソーシャル・キャピタルの確認)。


2、もうひとつのオープンアトリエ「栃木のART WALK」の場合

 オープンアトリエで思い出すことがある。90年代の後半、栃木県の芸術家たちが募って「ART WALK オープンスタジオ in 栃木」(1997~2001)と銘打ったアトリエ開放を開催していたことがある。
 宇都宮の他、那須・益子から栃木・足利まで広域にわたり、やはり自家用車所持が前提でなければとても回れない。毎年の公開は年中行事として定着したかに思えたが、5年で途絶えた。ここでも、来訪者(客)の立場での視点では、作家の全人格に触れられる新鮮な場。出会いに感銘を受ける。また閉塞した美術を社会へ放り出すことで、問題の在処を探る手掛かりとして意義があった。

 さらに思うことあり、何故途絶えたのかを考えてみた。
 栃木のオープンスタジオの場合、全国に先駆けた試みとして大きな意義があった。しかも、実行委員会に民主主義的な意味での平等と責任意識があり、組織員の誰もが交代で代表者に立てるとされた。ところが、実際には主要メンバーが栃木から離れることで、反ってこの平等責任意識が足かせとなり、モチベーションを減退させる一因となったと思える。また、主体性欠如の暴露は、実は一部のものが相当な負担を負っていた証明でもある。後年、203の組織員に会ったが、彼等は今でも中断した後ろめたさを隠さない。

 もうひとつ気がかりだったのは、毎年のアトリエ開放がエネルギーの消耗を繰り返すだけで、作家にとって意義が薄れたのではないかと考えられたことだ。裏を返せば、アトリエ開放が繰り返されたため、来訪者から飽きられたことも一因だったのではないか。毎年、同じ作家が同じような作品をアトリエで並べても、見るものにとっては作家のメチエの確認はできるとしても、やがて感動が薄れてゆく。
 もちろん、創作が一朝にしてできる訳でなく、時と労を要することは承知している。それでも他者から求められるのは新鮮な創造性との出会であり、その瞬間である。創作の現場には、そうした醍醐味がある。モチベーションの低下は、すでにこの段階での実行意義を全うしたことを意味しているように思える。


3、「創発」現況の先にあるもの

 話しを「創発」に戻そう。
 ひとつの企画を立ち上げ、実行にまで辿り着くまでには膨大なエネルギーを消耗する。作家相互が実行委員会を結成してのことであれ、専任のコーディネーターを立てたにせよ、大儀であるのには変わりない。これを継続するモチベーションの維持は、企画者の強い意志と参加作家の実行意義の認識、と同時に相互扶助、地域との恊働関係の確立に頼るところが大きい。また、何よりも参加作家の旺盛な創造性がその裏付けとなる。

 この企画は、埼玉の現況を同時多発的な展覧会として展望しようとしたもので、会場が画廊、公共施設、空地、廃屋、大学キャンパスと多岐にわたり、各々の作家が、それぞれの場との関係で美術の現況を創り出し、変化に富む。   
 その中でオープンアトリエでは、普段なかなか訪問できない制作現場が覗け、来訪者にとっては興味深い。だが、逆に作家にとっては負担になることもあろう。紙漉の現場のように、そのまま表現と一致すれば最良のことだが、時間を惜しんで制作を推し進めている作家にとっては、客を迎える準備や後始末を含め制作の中断を余儀なくされる事態だからだ。

 ここで再び思いついたことがある。作家たちはそれそれの事情を背負って「創発」に参加しているが、オープンアトリエは制作現場で生身の作家と出会える絶好の機会である。そこで、可能な限り、作家を差し替えながらでもこれを継続できれば、前世紀までに築かれた美術制度と、その閉塞性の問題を乗り越える手掛かりが得られるように思える。
 絵画における矩形の画面の中での自由の保証、制作現場(アトリエ)が作家の聖域として保護されてきた閉塞性を、公開によって制度の枠組みの一角を崩すことで、その先にある何かが見えてくるに違いないから。


4、美術の原題に展望を問う(終章)

 現在進行形の本展について、頭ごなしに意見するのはやぶさかでないが、美術が社会の中に存続する意義については、再確認する必要がある。
 一体、企画者は地域の美術の現況を展望した後に、何をやろうとしているのだろうか。作家は制作の個人的根拠や生き様に酔うだけでなく、公開の意義を何と心得ているのか。つまり、美術は何処へ向かおうとしているのか。極めて原初的な問題(原題)に打ち当たる。

 この原題、つまり将来的展望を明快にしてこそ、芸術は芸術制度やその閉塞性を乗り越え、社会から歓迎される存在に成り得るのではないか。将来的展望やアトリエ公開の意義の回答が、芸術の問題として提案されている企画であれば、参加作家のみならず来場者をも牽引し、あるいは社会をインスパイアし、延いては世界を救済することも可能ではないだろうか。
 これは企画者である松永康を中心に活動するプロジェクトのメンバーと、参加作家の個々への問いだ。もちろん、私自身への問いでもある。資本主義の崩壊に立ち会っている今だからこそ、ことさら芸術の社会性の回復を願うのだ。

 否、企画者はすでにこの問題に気付いており、ストレートな提言に抵抗が発生する危険を避け、場や状況の提示に留め、議論が醸成されるのを待つ。日本の賢哲を礎に企画設定しているのかもしれない。ここまで述べたところで、ようよう「美術の硬派」なる企画意図が解ってきたように思える。

[2011/1/12]



[9月の創発2010]
【№15】

[会場写真]
「アトリエキャトルの仲間達展」会場写真

「アトリエキャトルの仲間達展」会場写真

「アトリエキャトルの仲間達展」会場写真

「アトリエキャトルの仲間達展」会場写真

「アトリエキャトルの仲間達展」会場写真