[9月の創発2010レビュー]
ぼーっとの森を抜けて(「柳澤信男アトリエ展」を訪問する)
「ぼーっとすることがなくなった」
柳澤先生のお話し。あれは、たしか、何年も前。大学での「抽象を試みる」という講義だった。
電車に乗って、窓の外をみている。みているのだが、ほんとうはみていない。みているのは、その向こう側。いや、それに重ねた自分の内面なのだという。からだの眼は窓の外をみる。こころの眼はこころの内を聴く。焦点の合わない、瞑想に似た感覚。ぼーっとする。とは、そんな感覚。わたしたちは最近、なかなかそんな時間を持てなくなっているらしい。
ぼーっとの森の入口。
町を離れ、車はずんずん山道を滑っていった。アトリエまでの道程は、意識と無意識の狭間をまどろむよう。ふしぎな森は、大自然のゆりかご。眠りに落ちていくようだ。森を抜けて、ふっと、視界が開ける。空に近い。土にも近い。山の上に建っているアトリエは、天と地のさかいめのようだった。
向かいのお山に棲むひとに、おーい。と、お声を掛けてみる。
飛行機が眼の高さで飛んでゆく。どこまでも、横へ横へとのびてゆく風景に、このさかいめの居心地の良さを感じていた。わたしたちは縁側の、おおきな窓辺に腰掛けている。視線の先に、描きかけの作品を見つけた。鮮やかな色の玉があちらこちらに浮遊している。瞑想するように、ぼーっと。をつづけていくと、それはいったん静まるようにみえるが、たちまちゆるやかに動き出す。眠りに落ちる寸前でいがぐりを拾う。手に取ると、それはぼんやりと画面のなかのまあるい玉へと変わってゆく。
ここに居る。絵のなかにも居る。
絵に囲まれて、ごろんと寝転がって。雲のうえ。地図のうえ。仕掛けの仕掛け。仕掛けは電車の窓枠のようなものだ。窓の向こうを流れる風景は、生まれては消え、消えては生まれる玉のよう。これは、ぼーっとみるための仕掛けではないか。ちょっとわきを引っ掻いて、ぺろっと剥がしてしまえば、わたしたちは、ぼーっとの森のなかへ入ってゆける。仕掛けの上を歩けば、その重みで仕掛けの道は、ぼーっとの沼のなかに沈んでゆく。そしていつのまにか「ぼーっとすることがなくなった」わたしたちは、ぼーっとの森のなかに居た。
ぼーっとの森を下る。
地下に潜っていくような錯覚にとらわれる。アトリエを離れ、町に着く。もう、空にも土にも近くない。そして内面にも近くない。車に乗った柳澤先生は、ぼーっとの森のなかへと消えていった。わたしは家へ向かう電車の窓から、流れてゆくみどりいろの景色を眺めていた。そしてしばらくして、うとうとしながら、ちいさなスケッチブックにいくつものまあるい玉を描き続けていた。
ぼーっとの森を抜けて(「柳澤信男アトリエ展」を訪問する)
中村 眞弥子(美術作家・武蔵野美術大学卒)
「ぼーっとすることがなくなった」
柳澤先生のお話し。あれは、たしか、何年も前。大学での「抽象を試みる」という講義だった。
電車に乗って、窓の外をみている。みているのだが、ほんとうはみていない。みているのは、その向こう側。いや、それに重ねた自分の内面なのだという。からだの眼は窓の外をみる。こころの眼はこころの内を聴く。焦点の合わない、瞑想に似た感覚。ぼーっとする。とは、そんな感覚。わたしたちは最近、なかなかそんな時間を持てなくなっているらしい。
ぼーっとの森の入口。
町を離れ、車はずんずん山道を滑っていった。アトリエまでの道程は、意識と無意識の狭間をまどろむよう。ふしぎな森は、大自然のゆりかご。眠りに落ちていくようだ。森を抜けて、ふっと、視界が開ける。空に近い。土にも近い。山の上に建っているアトリエは、天と地のさかいめのようだった。
向かいのお山に棲むひとに、おーい。と、お声を掛けてみる。
飛行機が眼の高さで飛んでゆく。どこまでも、横へ横へとのびてゆく風景に、このさかいめの居心地の良さを感じていた。わたしたちは縁側の、おおきな窓辺に腰掛けている。視線の先に、描きかけの作品を見つけた。鮮やかな色の玉があちらこちらに浮遊している。瞑想するように、ぼーっと。をつづけていくと、それはいったん静まるようにみえるが、たちまちゆるやかに動き出す。眠りに落ちる寸前でいがぐりを拾う。手に取ると、それはぼんやりと画面のなかのまあるい玉へと変わってゆく。
ここに居る。絵のなかにも居る。
絵に囲まれて、ごろんと寝転がって。雲のうえ。地図のうえ。仕掛けの仕掛け。仕掛けは電車の窓枠のようなものだ。窓の向こうを流れる風景は、生まれては消え、消えては生まれる玉のよう。これは、ぼーっとみるための仕掛けではないか。ちょっとわきを引っ掻いて、ぺろっと剥がしてしまえば、わたしたちは、ぼーっとの森のなかへ入ってゆける。仕掛けの上を歩けば、その重みで仕掛けの道は、ぼーっとの沼のなかに沈んでゆく。そしていつのまにか「ぼーっとすることがなくなった」わたしたちは、ぼーっとの森のなかに居た。
ぼーっとの森を下る。
地下に潜っていくような錯覚にとらわれる。アトリエを離れ、町に着く。もう、空にも土にも近くない。そして内面にも近くない。車に乗った柳澤先生は、ぼーっとの森のなかへと消えていった。わたしは家へ向かう電車の窓から、流れてゆくみどりいろの景色を眺めていた。そしてしばらくして、うとうとしながら、ちいさなスケッチブックにいくつものまあるい玉を描き続けていた。
[2011/1/12]