[9月の創発2010レビュー]


 加茂孝子作品展 ──Real リアル──

宮尾節子(詩人) 


 楮(こうぞ)作家の加茂孝子さんが、小川町和紙学習センターで開催した作品展『―Real―リアル』は、なかなかショッキングな展示で、ひさびさに昂奮しました。「あっ!」とか「えっ?」という驚きの声が訪れた人々のこころの中でたくさんあがったことだろう。「アートとは何か」を懐ふかく語りかけてくれる問題作であり、すばらしい内容だった。

 案内の葉書に<私は和紙を使って作品を作り続けています。コウゾという木の皮が和紙になるまでの工程で、なぜか「リアル」を感じる瞬間があります。それは木でもなく、紙でもなく、何モノでもない、繊維と水が溶け合って一枚の面となり紙に変わる瞬間です。そのアヤウイ瞬間を捉えたくて、制作しています。>と書かれていたが、まさにアヤウイ瞬間を捉えて、観る者にもアヤウイ思いにココロ震わせてくれるものだった。

 会場も素晴らしかった。昭和十一年に建てられたという曲線の温かいレトロな外観や、隅々まで意匠をこらし建築の贅を尽した内装は、明治のモダン建築を彷彿とさせる見事な建物。旧き良き時代に、タイムスリップするようだ。元々は、旧埼玉県製紙工業試験場だったとのこと。いかに小川町が和紙で栄えた場所であったかと、往事の栄華を建物の佇まいに忍ぶことができる。なにも人々の口の端に上らなくても、また文書に書き残さなくても、こうして建物の佇まいや細工がたくさんの物語や歴史を、じゅうぶんに語り伝えることを思い知る。物は語るのだ。ここにもアートの意義が垣間見える気がした。

 さて、その建物の風情を味わいつつ、ギシギシと鳴る年降る廊下を踏みしめながら、ひとつびとつの部屋を訪ねていくと、ある部屋には数点の作品が並べられ、ある部屋にはポツンと一点のみ置かれている。その作品の姿を覗いてまずは「驚く」。訪れるひとのギョッとした顔と、エッと入り口に踏み留まり金縛りにあったように立ちすくむ姿とに、当日、私は何度も出遭った。

 現代をレトロな窓枠で切り取った、その窓からさしこむ明るい日差しや、木々の緑を映し込みながら、水を張った鉄枠の浅い水槽のなかでは、白い水母(クラゲ)のようなさまざまな「紙の子」たちが、アヤウイ姿で漂っているのだ。未だ、形をもたず、胎内に宿って、羊水のなかで夢見る胎児たちのように――。その水底にしずむ赤子のそばに、水面から差し込む昼の光や風にゆれる梢の緑が降りていっては、優しくあやしているように見える。「これは何?」という最初の驚きのあとに、そのような、なんとも癒される空間がそこに生まれ、息づいているのだった。

 この「アヤウイ」光景を眺めていると、ぼんやり思い当たる景色が心のどこかに浮かんでは消えていた。それを、やっと思い出すことができた。日本の神話『古事記』の、イザナギとイザナミという夫婦神の国作りの物語である。

 昔々。高天原に神々が集まって国作りを始める時のこと──「地上世界が若く、まだ形を整えていず、水に浮かんでいる脂(あぶら)のようで、水母(くらげ)のようにふわふわと漂っていた時」上の神様に「この漂っている国土をあるべき姿に整え固めよ」と命じられたイザナギとイザナミは、授けられた「天の沼矛(ぬまほこ)」で「天の浮橋の上から、沼矛をさしおろし、『こをろこをろ』とかき鳴らしつつ、引き上げると」その引き上げた矛の先からしたたる塩が、重なり積もって島々になったという。その「国作りのシーン」である。

 加茂孝子が今回の展示で表現したものがまさに、「紙の島作り」、「芸術の国作り」のリアル・シーンだったのではないだろうか。我々は、あまたの展覧会で作品という「結果」を観てきた。それは、いわば時間軸に沿って、作家の思いを凝固させたものだ。彼女は逆に、時を遡り、その固まる思いを解きほどき、思いが固まる前の、芸術の母胎の羊水の中で「水母のようにふわふわと漂う」、いまだカタチ定まらぬ胎児の姿を捉えたかったのではないだろうか。──彼女の母性が、芸術の腹子(ハラコ)を求めたのだ。

 それら胎児たちは、やがて形を整え水から揚げられ、一般紙として流通するものや、芸術作品として珍重されるものと分別され、それぞれに「紙の道」を歩む。しかし、その前の分け隔てのない混沌(カオス)を愛でる、母なる思い、母なる愛。それが今回の展示内容ではなかったかとわたしには思われる。さらに、その奥には、作品を作り出す、手への愛があり、素材たちへの愛があり、それらをつなぐ媒体(ここでは水)への愛があり、交歓がある。つまり愛を営む、ここには「愛の閨(ねや)」が置かれていたのだ──。だから、ひどく驚きつつも、その居心地や見心地が知らぬ間に、訪れる者をこんなにも癒すのだ。

 「すぐ乾いてしまって」と、時折ジョウロで作品に水遣りをする加茂さんの姿も不思議な光景だった。それは、身を折り赤ん坊に乳をふくませる母親の姿に似ていた。その度に、水盤の水面(みなも)は揺れ、水面に映る景色は揺れ、光もゆれ、作品たちは、みなうれしげに母親の乳をあびる、娘たち息子たちのようだった。水を注ぎながら「これ、井戸水なのよ」と彼女はにっこり微笑んだ。その笑みは芸術の産神(うぶがみ)のような母性の愛に満ち満ちていた。

 加茂孝子の今回の展示で、私は「芸術の作品」ではなく、その奥で息づく「芸術の存在」に触れたと感じた。とても、リアルに──。母性の作家・加茂孝子が新たな一歩を踏み出した。

[2011/1/21]



[9月の創発2010]
【№24】

[会場写真]
「加茂孝子展」会場写真

「加茂孝子展」作品写真

「加茂孝子展」作品写真

「加茂孝子展」仕事風景