[9月の創発2010レビュー]
橋本真之展
大きなウィンドウから奥の緑地まで見通せる空間の床に、漏斗状の形体から出発し展開した作品「発生期の頃」(100×100×70)が置かれている。
内部の中心には擬宝珠状の先端が突き出した球体がある。この球体は2009年に出てきたそうで、すでに展示発表している。
内側から外側にさらに反転し、外と内への連動、連鎖、分岐等で巨大化し、運動膜として展開する作品の中に、継続中の「果樹園―変換」の進化した一部として組み込まれて行く部分でもある。
「果樹園―果実の中の木もれ陽、木もれ陽の中の果実」は、中心から螺旋状に始まり反転し、第二中心部へと螺旋状となって連なる作品で、全長38mある。
現在、半分は国立近代美術館工芸館に収蔵され、後の半分は、山口県の萩の美術館にある。
「果樹園―変換」の進化した作品の完成はまだ先のことだが、作者の膨大なエネルギーの原初とは、どの様なものなのかと、人間の思考のマグマの深淵を思わざるを得ない。
大きめのドローイングは、画面が少し波打って見えるのでパネル張りに失敗したのかと、一瞬目を凝らしたが、紙は釘で表から留めてあった。
波打つ画面に触発されて描いたというこのドローイングは、画面の波動とドローイングが微妙に呼吸し合い、銅板を叩く時より、より自由に願望を込めて線は動き、筆圧の動きにからめ取られた色彩の重ねの間から、見え隠れする色合いの上を、空間を豊かに風のように動き、観るものを広い世界へと誘ってくれる。
又、青を基調としたドローイングは、カッターで削り一気に引く絶妙な技は、「カッター描法」とも言えるのだろうか。
この描法の白線は、鋭くはなく温かくもあり、青と白と黒の清涼感のある対比が鮮やかである。
壁の展示とは思えない唐突に壁から突き出た「凝集力展開」(95×40×50)という大きい作品は、球体状に皺が寄せられ、穴が開いている。開けられた穴を覗くと人間が宇宙の一部になった感があり、丸い穴からは他の作品を観ることが出来る。
この凝集力展開は、一定の体積形状まで収縮して行く過程で、収縮もせず、膨張もせずに留まっている存在という作品かもしれない。
原始的なマスクを想わせる壁にかけた作品「凝集力展開」(50×20×22)は、楕球状に近い形の両面を叩いて、迫り上がり際立った稜線を、やや傾きながら正面に持たせ、銅肌の上に色彩が現れている。
マスク的作品「凝集力展開」(72×20×42)のもう1点は、やや膨らみがある側面に直径10cmほどの円がぽっかり上部に開き、馬の鼻づら的面に岩肌のように迫り稜線となっている。反対の側面は、ゆるやかな稜線を持ちながら、稜線を越えると急降下する垂直な面となり、11個の穴がある。その中の1つが反対側の円から光を受け、直径2cmの円相に光が灯る。
穴の回りには、紫青橙・・と熱伝導の温度差による波形が虹色的変化の銅肌を持ち魅惑する。銅肌の中の紫が美しいと感じる人が多いようだ。
この鉱物の炎の神秘の色合いは、空気に触れることで酸化が進み、不可思議な魅力ある色彩の定着は困難だそうだ。
奥にある鎧を感じさせる作品「変成期の頃」(96×84×55)は、擬宝珠状の先端が何かを受信、発信している様にも観える。
銅の切り口の連なる全体の形は、ドローイングの線と同様にリズミカルである。
外の緑を作品の展示空間に取り入れた感は、この作品も更なる展開を予感させている。
様々な銅の切れ端を叩くと、ひとひらの切片となり様々な形となる。
この切片の組み合せにより、様々な切片群接合が誕生し、壁に掛けられている。
花のように、枯葉や小枝のように、楽器のように、具体的な言葉では表せない形の「切片群接合」は、真鍮蝋で接合した箇所が白亜の色合いの中に黄色味があり、ひそやかな光沢を感じる。
部分的には虹色的銅肌のある作品で、身近に置いておきたい1つでもある。
ギャラリー緑隣館は、パネルの増減によって、作者の好みの空間に変質できる特色ある画廊である。
今回は、2枚のパネルを残し、他のパネルを取り払った開放感あふれる展示になっていた。
橋本真之展
香山桜子(エッセイスト)
大きなウィンドウから奥の緑地まで見通せる空間の床に、漏斗状の形体から出発し展開した作品「発生期の頃」(100×100×70)が置かれている。
内部の中心には擬宝珠状の先端が突き出した球体がある。この球体は2009年に出てきたそうで、すでに展示発表している。
内側から外側にさらに反転し、外と内への連動、連鎖、分岐等で巨大化し、運動膜として展開する作品の中に、継続中の「果樹園―変換」の進化した一部として組み込まれて行く部分でもある。
「果樹園―果実の中の木もれ陽、木もれ陽の中の果実」は、中心から螺旋状に始まり反転し、第二中心部へと螺旋状となって連なる作品で、全長38mある。
現在、半分は国立近代美術館工芸館に収蔵され、後の半分は、山口県の萩の美術館にある。
「果樹園―変換」の進化した作品の完成はまだ先のことだが、作者の膨大なエネルギーの原初とは、どの様なものなのかと、人間の思考のマグマの深淵を思わざるを得ない。
大きめのドローイングは、画面が少し波打って見えるのでパネル張りに失敗したのかと、一瞬目を凝らしたが、紙は釘で表から留めてあった。
波打つ画面に触発されて描いたというこのドローイングは、画面の波動とドローイングが微妙に呼吸し合い、銅板を叩く時より、より自由に願望を込めて線は動き、筆圧の動きにからめ取られた色彩の重ねの間から、見え隠れする色合いの上を、空間を豊かに風のように動き、観るものを広い世界へと誘ってくれる。
又、青を基調としたドローイングは、カッターで削り一気に引く絶妙な技は、「カッター描法」とも言えるのだろうか。
この描法の白線は、鋭くはなく温かくもあり、青と白と黒の清涼感のある対比が鮮やかである。
壁の展示とは思えない唐突に壁から突き出た「凝集力展開」(95×40×50)という大きい作品は、球体状に皺が寄せられ、穴が開いている。開けられた穴を覗くと人間が宇宙の一部になった感があり、丸い穴からは他の作品を観ることが出来る。
この凝集力展開は、一定の体積形状まで収縮して行く過程で、収縮もせず、膨張もせずに留まっている存在という作品かもしれない。
原始的なマスクを想わせる壁にかけた作品「凝集力展開」(50×20×22)は、楕球状に近い形の両面を叩いて、迫り上がり際立った稜線を、やや傾きながら正面に持たせ、銅肌の上に色彩が現れている。
マスク的作品「凝集力展開」(72×20×42)のもう1点は、やや膨らみがある側面に直径10cmほどの円がぽっかり上部に開き、馬の鼻づら的面に岩肌のように迫り稜線となっている。反対の側面は、ゆるやかな稜線を持ちながら、稜線を越えると急降下する垂直な面となり、11個の穴がある。その中の1つが反対側の円から光を受け、直径2cmの円相に光が灯る。
穴の回りには、紫青橙・・と熱伝導の温度差による波形が虹色的変化の銅肌を持ち魅惑する。銅肌の中の紫が美しいと感じる人が多いようだ。
この鉱物の炎の神秘の色合いは、空気に触れることで酸化が進み、不可思議な魅力ある色彩の定着は困難だそうだ。
奥にある鎧を感じさせる作品「変成期の頃」(96×84×55)は、擬宝珠状の先端が何かを受信、発信している様にも観える。
銅の切り口の連なる全体の形は、ドローイングの線と同様にリズミカルである。
外の緑を作品の展示空間に取り入れた感は、この作品も更なる展開を予感させている。
様々な銅の切れ端を叩くと、ひとひらの切片となり様々な形となる。
この切片の組み合せにより、様々な切片群接合が誕生し、壁に掛けられている。
花のように、枯葉や小枝のように、楽器のように、具体的な言葉では表せない形の「切片群接合」は、真鍮蝋で接合した箇所が白亜の色合いの中に黄色味があり、ひそやかな光沢を感じる。
部分的には虹色的銅肌のある作品で、身近に置いておきたい1つでもある。
ギャラリー緑隣館は、パネルの増減によって、作者の好みの空間に変質できる特色ある画廊である。
今回は、2枚のパネルを残し、他のパネルを取り払った開放感あふれる展示になっていた。
[2011/1/20]